禁煙マスター JAENESKO

6️⃣ 煙のない喫煙所 - 第六章 過去煙草

プレミアム ・ 禁煙文学部 ・ 2026-07-10 ・ 2分

N氏は買わなかった。買うつもりはなかった。だが、パンフレットだけは家に持ち帰った。

過去煙草は、黒い箱に入っていた。

N氏は買わなかった。買うつもりはなかった。だが、パンフレットだけは家に持ち帰った。

説明によれば、過去煙草は思い出の痛みをやわらげるものだった。恥ずかしい記憶、取り返しのつかない一言、失敗した禁煙、失くした約束。そうしたものを少し薄くする。

N氏は、よくできた商売だと思った。

未来煙草で未来を削り、削ったことへの後悔を過去煙草で薄める。そうすれば、客は軽くなる。どんどん軽くなって、最後には何も残らないかもしれない。

彼はその夜、久しぶりに普通の煙草を思い出した。

紙の箱。銀紙。火をつける音。最初のひと吸い。喫煙所の古い会話。雨の中で吸った時の情けなさ。健康診断の前だけ本数を減らしたこと。子どもが小さかった頃、ベランダで吸っていたこと。窓の向こうで、娘がこちらを見ていたこと。

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